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天徳寺は、石橋山合戦で活躍した真田与一義忠がいた場所といわれています。その後、戦国時代前半に、相模国守護代上田氏の居城として本格的に築城され、当時は相模国の重要拠点の一つだったとされています。
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綾瀬駅から徒歩10分のところに位置する真言宗のお寺です。
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鶴岡八幡宮本宮の西側の小高い丘の上にある神社です。境内では一番古い室町期の御社殿で、商売繁昌等を願う多くの方々より奉納された赤い旗で囲まれています。
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浄発願寺は木食遊行の開祖弾誓上人により開かれた天台宗弾誓派総本山です。
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座間警察署東側の段丘下にある境内の池の奥から湧き出す湧水。現在は、池を潤す水として利用されています。心岩寺では、境内から土器片が発見されたり、東側の台地上でも縄文中期の遺跡が発掘されたりと、先史時代から周辺住民の貴重な生活用水として利用されていたといわれています。また、湧出量が豊富であったため、寺の西側にあった後背湿地の水田にも利用されていたといわれています。
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「勝」と「和」をご神徳とし、川崎の守り神として市民に親しまれている神社。創建年代は詳らかではありませんが、ご神木の大銀杏は樹齢千年以上と言われています。8月の例大祭(川崎山王祭)を始め、年間通して多くの祭事が行われます。境内には松尾芭蕉や正岡子規など川崎ゆかりの句碑や、小土呂橋遺構など歴史・文化に関わる見所も多くあります。
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藤沢市にある浄土宗のお寺です。本尊の阿弥陀如来は市の重要文化財です。また、墓所を包むようにひろがる約7900㎡の静かな寺林も、天然記念物として市の指定を受けています。(写真提供:藤沢市ふじさわ宿交流館)
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かつてこの地は鎌倉三代将軍源実朝が宋に渡る船の用材を切り出したところと伝えられ、それゆえに乗船成就海上守護の願いにより勧請されたといわれます。 (写真提供:藤沢市ふじさわ宿交流館)
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鶴岡八幡宮の入口に建てられているのが三ノ鳥居です。
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神奈川県小田原市にある日蓮宗のお寺で、小田原八福神の1つです。小田原は戦国時代より城下町として栄え、歴史と文化を感じる史跡があふれる町です。蓮船寺は戦国時代の末期に小田原北條氏一門、井出氏の開基により創建され、400年以上の歴史が続いています。
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境内には鎌倉時代の海老名氏一族の国分季頼が国分尼寺に寄進した銅鐘や海老名に伝わる昔話「尼の泣水」に縁のある如意輪観音像が境内に安置されています。銅鐘は国指定の重要文化財となっています。
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数多くの文化財を保有する平安時代(829 年)創建の歴史ある寺院です。本堂ではこれまで多くの文化的イベントも行われています。国登録有形文化財の庫裡では会議、レセプション等、また境内では野外イベントも可能です。
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鎌倉時代の名将、新田(源)義貞を祀る神社です。
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石段を登りきると、三浦半島を一望できます。1502年に創業され、古くより曹洞宗の修行道場として知られています。
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徳善寺は、木造の立派な山門が特徴的です。境内では季節折々の植物を鑑賞できます。
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源氏池の中の島に鎮座しており、現在の御社殿は八幡宮御創建800年(昭和55年)に、文政年間の古図をもとに復元したものです。頼朝公の旗上げにちなみ、源氏の二引きの旗に願いをかける人が大勢います。
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和銅3年(710年)染谷太郎時忠が創建したとされる神社。源頼朝、政子、実朝も参詣したと言われています。
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天慶4年(941)の創建といわれ、早良親王(桓武天王の同母弟)と、鎌倉権五郎景政を合祀しています。災難除け、学業成就、合格祈願、書道上達のご利益があると言われています。
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鳳巣院は、小田原八福神の一つである寿老人を祀るお寺です。
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親鸞聖人の門弟 信楽房(しんぎょうぼう)が開基の寺。親鸞聖人の子 善鸞が東寺を聖人の旧跡と慕って滞在し、当地で往生したといい、墓所があります。
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800年以上の歴史を持つ寺。坐禅と写経は都合の良い日時に予約ができ、初めての体験者も丁寧に指導してくれます。英語での坐禅の解説が可能です。
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眞宗寺は浄土真宗本願寺派の寺院です。境内正面にはギリシャ神殿風の本堂、高台には黄金に輝く川崎大佛合祀墓があります。そして右手丘陵の中腹には鐘楼堂、池田満寿夫画伯の遺作となった梵鐘「しあわせの鐘」があります。
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古墳の周溝は道路によって削られていますが、現状で直径17.5m、高さ3.7mの円墳です。橘樹神社の社伝によると、ヤマトタケルノミコトが東征のさいに、荒れる海に身を投じた后のオトタチバナヒメの衣と冠がこの地に流れつき、それをヒメの代わりとして、古墳に埋葬したと言われています。
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傳肇寺は鎌倉時代末期に創建され、戦国時代には小田原北条氏の帰依も受けた古刹です。童謡作家の北原白秋が境内に木菟の顔そっくりな家を建て執筆活動を行っていた事から「みみづく寺」の名でも知られています。
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三浦半島を本拠に相模國を治めた三浦氏の最後の武将である三浦義意公をお祀りする神社。永正17年(1520年)創建の古社。小田原城主であった北條氏綱公の意向により居神大明神として祀られたと言われています。
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戦国時代の終わりに豊臣秀吉との小田原合戦に備え北条氏が作らせた総構の一部で、豊臣軍の本陣と向かい合う重要な場所でした。二重外張と呼ばれる土塁と堀を二重に配した構造となっていることから、この付近に出入口である虎口があったと考えられています。
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祭神として「奇稲田姫命(クシナダヒメノミコト)」を祀っています。 創建は天平勝宝(西暦749年)で、鎌倉由比ヶ浜生まれの良辨僧正が勧請されたとされています。
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1333年(元弘3)新田義貞が鎌倉攻めをしたときの本陣をかまえた場所で、義貞が北条方の戦死者の霊を慰めるため1337年(延元2)に建立したといわれています。山門と本堂に掲げられている額の「内裏山」と「九品寺」の文字は、義貞の筆の写しと伝えられ、直筆と伝えられる額は本堂に保存されています。
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鈴鹿明神社東側の段丘下にある龍源院の裏手から湧き出す湧水。この湧水は、近くの鈴鹿明神社から縄文後期の遺跡が発掘され、この遺跡の水場が龍源院湧水のみであることから、鈴鹿遺跡の住人が生活用水として利用していたといわれています。明治24年頃から第二次世界大戦頃までは、わさび田として利用されており、現在もその名残をとどめています。また、明治35年以降には、養蚕で得た生糸の撚糸(ねんし)器具や、精米器具を動かすための水車の動力源としても利用されていました。
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小字でいう宮根(みやね)にあり、一色の氏神。大日霊貴命(おおひるめのみこと)をまつっています。例祭日は7月15日・16日。戦前は毎月1日・15日に、平和と氏子の健康、出征兵士の武運長久を祈る祈願祭が行われ、住民や近郷からの参拝者も多かったとされています。
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1278年に創建された時宗の寺院で、一遍上人がその基礎を築き、作阿上人が開山したとされています。光触寺は以来およそ700年、念仏の道場となって今日に及んでいます。
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口碑によれば大阪落城当時、豊臣氏の遺臣此の地に来住して牛頭天王を奉斎、町屋村の鎮守と仰ぎまつって夏の祇園天王祭の創始をなしたと伝わっています。(神奈川県神社誌より)
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浄永寺は、神奈川県小田原市城山にある日蓮宗の寺院です。
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入口大鳥居右にある高来神社の石碑は徳川頼倫候、本殿神額は樺山資紀の麗筆です。江戸時代には参勤交代の大名が下馬して参詣したと伝えられています。
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南湖院は、旧結核療養施設として明治期から本市の発展に大きな影響を与えた施設で、その価値を後世に残すため一部を「太陽の郷庭園」として一般公開しています。明治時代の木造の洋風建築や、噴水のある丸池も情緒のある景色ですが、庭園の西側から見える富士山の景色は「関東の富士見百景」に選定されるほどの美しさです。晴れた日に景色を楽しみながらゆったりと散策するのがおすすめです。
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三崎市街を見渡すことができる高台に位置しており、源頼朝が三崎に建てた三御所「桜の御所」跡として知られています。
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戦国時代に開山された曹洞宗(禅宗)の寺院です。江戸時代中期に建立された山門は寄地区で現存する最古の木造建築といわれています。江戸末期には寺子屋、明治初期には寄小学校の前身としての役割も担い、昭和の戦時中には多くの疎開児童も受入れる等 寄の地域社会とあゆみを共にしてきました。丁寧に掃き清められた境内に立つと、長い歴史を深く感じます。
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鎌倉市材木座に鎮座し、鶴岡八幡宮の元になったことから元八幡とも称される。1063年に源頼義公が京都の石清水八幡宮を密かに勧請した社である。

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