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「二宮」の町名の由来となっている神社です。周囲を森に囲まれたとても静かな場所で、まるで時間が止まっているかのようです。また春には桜、秋には紅葉を見ることができます。相模国二之宮の風格を感じさせる神社です。
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「閻魔様の寺」円応寺は、建長二年(1250年)に造られた閻魔大王を本尊とするお寺です。円応寺の閻魔大王を中心とする十王は生前に罪を犯して地獄行きになったものがどのような裁きを受けるかが描かれています。
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古くから藤沢の地に鎮座する古社で、相模國一之宮寒川神社で有名な寒川比古命と源義経公をお祀りしています。
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龍口寺は、1337年に建立された「日蓮宗」の寺院です。日蓮は国難を憂い、鎌倉幕府へ献策を行いましたが、幕府は日蓮を捕縛し、処刑場のあった龍ノ口に連行します。日蓮が斬首されようとした時、突然光が射し込み、斬首人の目をくらませます。この奇跡を恐れた幕府は、斬首を中止。この跡地に建てられたのが龍口寺です。
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毎年7月、2日間にわたり開催される貴船神社の祭礼は勇壮華麗な船祭りとして有名で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
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麻生不動院の正式名称は「明王山不動院般若坊」(みょうおうざん・ふどういん・はんにゃぼう)といいます。無病息災や家内安全を願うダルマ市が有名です。
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平塚八景のひとつであり、坂東三十三カ所霊場第7番札所でもあります。 金目観音の厨子はとても価値があるもので、国の重要文化財に指定されています。県・市の指定文化財も多く存在します。
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藤沢市に位置する日蓮宗の寺院です。永正元年(1504)創立の寺院で、墓地の一角には本陣職を務めた蒔田家の墓が往時の隆盛を偲ぶように立っています。(写真提供:藤沢市ふじさわ宿交流館)
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大沢川上流にある弁財天です。雨乞いのために祭られたと言われています。
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建久5年(1194年)、源頼朝が三浦大介義明菩提寺として建立しました。140年後に火災にあい建物はなくなってしまいましたが、1749年に仏心禅師が再建し、旧山号の雲龍山を改め、義明山としました。以来、臨済宗建長寺派の禅寺として今に至っています。本堂前のサツキの大株は「頼朝手植えのツツジ」といわれています。 三浦家ゆかりの文化財、三浦義明坐像(国指定重要文化財)等多数を所蔵しています。拝観は要予約。
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座間警察署東側の段丘下にある境内の池の奥から湧き出す湧水。現在は、池を潤す水として利用されています。心岩寺では、境内から土器片が発見されたり、東側の台地上でも縄文中期の遺跡が発掘されたりと、先史時代から周辺住民の貴重な生活用水として利用されていたといわれています。また、湧出量が豊富であったため、寺の西側にあった後背湿地の水田にも利用されていたといわれています。
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鈴鹿明神社東側の段丘下にある龍源院の裏手から湧き出す湧水。この湧水は、近くの鈴鹿明神社から縄文後期の遺跡が発掘され、この遺跡の水場が龍源院湧水のみであることから、鈴鹿遺跡の住人が生活用水として利用していたといわれています。明治24年頃から第二次世界大戦頃までは、わさび田として利用されており、現在もその名残をとどめています。また、明治35年以降には、養蚕で得た生糸の撚糸(ねんし)器具や、精米器具を動かすための水車の動力源としても利用されていました。
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創建は推古天皇の御代と伝えられ、大正9年(1920)年に鶴見神社と改称されました。「川崎・横浜間最古の神社」と言われています。
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琴平の地には、1570年頃神明社が祀られていました。その後1826年に香川金刀比羅宮の分霊を勧請神明社と合祀し、旧ご本殿は2007年奥宮を残し、焼失しました。しかし2011年に再建に合わせ花鳥山水画も復元され、時代を伝えています。
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北条宗政の妻と子の師時が1281年(弘安4)ごろに建てたようです。この寺には、鎌倉十井の一つ「甘露ノ井」があります。豊かな緑におおわれた境内は、国の史跡に指定されています。
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吉沢地区の鎮守として知られています。上吉沢の八剱神社には大ケヤキがあり、下吉沢にある八剱神社の木造不動明王像「かんまん不動」は国指定重要文化財に指定されています。
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徳善寺は、木造の立派な山門が特徴的です。境内では季節折々の植物を鑑賞できます。
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山王神社は、藤沢宿最初の鎮守で、寛永年中(1624-44)現在の藤沢高校跡あたりに勧請され、安永年中にこの地に移されました。境内裏にまわると庚申塔が人恋しそうにたたずんでいます。(写真提供:藤沢市ふじさわ宿交流館)
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鶴岡八幡宮の入口に建てられているのが三ノ鳥居です。
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浄発願寺は木食遊行の開祖弾誓上人により開かれた天台宗弾誓派総本山です。
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祭神として「奇稲田姫命(クシナダヒメノミコト)」を祀っています。 創建は天平勝宝(西暦749年)で、鎌倉由比ヶ浜生まれの良辨僧正が勧請されたとされています。
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小字でいう宮根(みやね)にあり、一色の氏神。大日霊貴命(おおひるめのみこと)をまつっています。例祭日は7月15日・16日。戦前は毎月1日・15日に、平和と氏子の健康、出征兵士の武運長久を祈る祈願祭が行われ、住民や近郷からの参拝者も多かったとされています。
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南湖院は、旧結核療養施設として明治期から本市の発展に大きな影響を与えた施設で、その価値を後世に残すため一部を「太陽の郷庭園」として一般公開しています。明治時代の木造の洋風建築や、噴水のある丸池も情緒のある景色ですが、庭園の西側から見える富士山の景色は「関東の富士見百景」に選定されるほどの美しさです。晴れた日に景色を楽しみながらゆったりと散策するのがおすすめです。
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白笹稲荷神社は、関東三大稲荷の一つといわれています。境内には、一貫田湧水という湧水地やヒカリモの池があります。拝殿の天井には龍神や宝づくしの図が描かれていて、無料で拝観できます。2月初午の日には多くの参拝者でにぎわいます。定期的に骨董市を開催しています。
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大日堂は、奈良県の東大寺大仏造営に尽力した行基によって、742年に開かれたと伝えられています。本堂には高さ175cmの「大日如来像」があり、県の重要文化財に指定されています。
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1636年創に建された英勝寺の境内には、創建当時から現存する建物が数多く残っており、すべて国の重要文化財に指定されています。
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鎌倉幕府の執権であった北条時頼と北条長時によって創建され、長時から始まる赤橋流北条氏の庇護のもと、諸宗兼学の学問寺として発展しました。鎌倉幕府滅亡後は足利尊氏が一時蟄居していた場所としても知られ、その後の関東公方の足利氏とも深い関係を築きました。国重文の阿弥陀三尊像をはじめとする多くの文化財を擁し、境内全域は国史跡に指定されています。
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古墳の周溝は道路によって削られていますが、現状で直径17.5m、高さ3.7mの円墳です。橘樹神社の社伝によると、ヤマトタケルノミコトが東征のさいに、荒れる海に身を投じた后のオトタチバナヒメの衣と冠がこの地に流れつき、それをヒメの代わりとして、古墳に埋葬したと言われています。
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江ノ島からほど近い場所に位置し、梅の名所として知られています。
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綾瀬駅から徒歩10分のところに位置する真言宗のお寺です。
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鳳巣院は、小田原八福神の一つである寿老人を祀るお寺です。
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長元3年(1030年)源頼義公が平忠常の乱を平定の折、石清水八幡宮を勧請したことに始まります。相模国茅ヶ崎の総社として開運、諸願成就等の御神徳により古より篤く崇められ、菅原道真公を合祀し合格学業成就の御利益があると言われています。
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神奈川県小田原市にある曹洞宗のお寺で、小田原八福神の1つです。
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江の島道から民家の軒をぬって石段を左に昇った場所に白山神社はあります。(写真提供:藤沢市ふじさわ宿交流館)
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藤沢市に位置する浄土真宗本願寺派(西本願寺)のお寺です。山門を入ってすぐ左の墓所に、旅籠屋を営んでいた小松屋源蔵の墓があり、それを囲むように旅籠に売られてきた飯盛女を手厚く葬った墓があります。(写真提供:藤沢市ふじさわ宿交流館)
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かつてこの地は鎌倉三代将軍源実朝が宋に渡る船の用材を切り出したところと伝えられ、それゆえに乗船成就海上守護の願いにより勧請されたといわれます。 (写真提供:藤沢市ふじさわ宿交流館)
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正式には下拝殿といい、本宮を下から拝する建物。各種祭典がここで執り行われる他、神前挙式や音楽・芸能の奉納も行われる。源義経公を慕う静御前が舞を舞ったのはあまりにも有名である。
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戦国時代に開山された曹洞宗(禅宗)の寺院です。江戸時代中期に建立された山門は寄地区で現存する最古の木造建築といわれています。江戸末期には寺子屋、明治初期には寄小学校の前身としての役割も担い、昭和の戦時中には多くの疎開児童も受入れる等 寄の地域社会とあゆみを共にしてきました。丁寧に掃き清められた境内に立つと、長い歴史を深く感じます。
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河村氏の居城として中世から戦国時代にかけて脚光を浴びた河村城。平成元年から6年の歳月をかけて河村城跡の調査研究と歴史公園としての整備が行われ、平成6年5月に「河村城址歴史公園」が誕生、平成8年には県内の山城としては初めて県指定史跡となりました。
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片瀬諏訪神社は藤沢市の江の島近くに位置し、男神と妃神を祀る夫婦円満のパワースポットと言われています。