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江戸時代、三の丸には重臣の屋敷や藩の施設が置かれ、二の丸・御用米曲輪・南曲輪を大きく取り囲むように配置されていました。この三の丸には4つの出入り口が設けられており、そのうち、東の大手口、北の幸田口、南の箱根口は、堅牢な石垣で固めた桝形門となっていました。江戸時代初期の小田原城の大手口は箱根口でしたが、稲葉氏の時代に江戸に向く現在の場所に移されています。大手門跡の石垣の上には、大正時代に移設された時の鐘があり(現在の鐘は昭和28年製)、午前6時と午後6時に鐘を打ち、市民に時を知らせています。
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元歴元年(1184年)に開かれた高野山真言宗のお寺で、本尊は不動明王です。神仏分離により、別当を務めていた白旗神社の境内より、現在地に移転しました。源義経公の位牌(前面には白旗大明神と書かれている。)を安置しています。
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豊臣秀吉による小田原攻めに対して北条氏が築いた総構の一部です。小田原城総構の中でも低地部にある遺跡として、貴重なものです。土塁の外側には渋取川を配し、堀としていました。
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大沢川上流にある弁財天です。雨乞いのために祭られたと言われています。
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戦国時代に開山された曹洞宗(禅宗)の寺院です。江戸時代中期に建立された山門は寄地区で現存する最古の木造建築といわれています。江戸末期には寺子屋、明治初期には寄小学校の前身としての役割も担い、昭和の戦時中には多くの疎開児童も受入れる等 寄の地域社会とあゆみを共にしてきました。丁寧に掃き清められた境内に立つと、長い歴史を深く感じます。
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800年以上の歴史を持つ寺。坐禅と写経は都合の良い日時に予約ができ、初めての体験者も丁寧に指導してくれます。英語での坐禅の解説が可能です。
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伊勢原駅近くの市街地にある神社で、「大神宮さん」と呼ばれ市民に親しまれています。2月3日の節分祭から始まり、春には境内の桜が見事に咲き、夏はほおずきや朝顔が並ぶ「花の市」で賑わいます。
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「勝」と「和」をご神徳とし、川崎の守り神として市民に親しまれている神社。
創建年代は詳らかではありませんが、ご神木の大銀杏は樹齢千年以上と言われています。
8月の例大祭(川崎山王祭)を始め、年間通して多くの祭事が行われます。
境内には松尾芭蕉や正岡子規など川崎ゆかりの句碑や、小土呂橋遺構など歴史・文化に関わる見所も多くあります。 -
1191年、源頼朝により創建されたと言われる歴史ある神社です。
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毎年7月、2日間にわたり開催される貴船神社の祭礼は勇壮華麗な船祭りとして有名で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
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縁結び・安産・子宝の神社として信仰されています。
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紅葉と五百羅漢像で人気のスポットで、紅葉を楽しむことができます。
また、「東国花の寺百ヶ寺」に数えられる花の多い曹洞宗のお寺で、10月頃にはイワシャジンという
紫色の花が美しく咲きます。
美しく豊かな自然が広がる仙石の紅葉は、11月に入ると霧が降りることもあることから、草が色づくめずらしい
草紅葉も見られます。木々だけでなく、ススキの草原も秋の景色が見ごろです。 -
石段を登りきると、三浦半島を一望できます。1502年に創業され、古くより曹洞宗の修行道場として知られています。
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相模の国の六社のひとつ。例大祭や、浜降り、ぼんぼり祭等の祭事が行われます。
隣接する八幡山公園は、平塚八景に選定され、県内でも数少ない明治時代に建築された洋風の建物があります。
68年仁徳天皇創建とされる古社、鶴峯八幡宮として相模国の鎮地大社として崇敬されています。 -
南湖院は、旧結核療養施設として明治期から本市の発展に大きな影響を与えた施設で、その価値を後世に残すため一部を「太陽の郷庭園」として一般公開しています。明治時代の木造の洋風建築や、噴水のある丸池も情緒のある景色ですが、庭園の西側から見える富士山の景色は「関東の富士見百景」に選定されるほどの美しさです。晴れた日に景色を楽しみながらゆったりと散策するのがおすすめです。
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口碑によれば大阪落城当時、豊臣氏の遺臣此の地に来住して牛頭天王を奉斎、町屋村の鎮守と仰ぎまつって夏の祇園天王祭の創始をなしたと伝わっています。(神奈川県神社誌より)
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鎌倉時代の名将、新田(源)義貞を祀る神社です。
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出雲大社の御祭神大国主大神様をお祀りしています。明治21年(1888年)に、島根県出雲大社より正式に御分霊を賜った出雲大社教の分祠です。
大社造りと権現造りを組み合わせた独自の木造社殿の様式で翼幣殿と呼ばれる長い幣殿が特徴的で「関東のいずもさん」として崇敬を集めています。
自然豊かな境内には樹齢千年のオオケヤキのご神木がそびえたち、秦野名水の湧水地としても親しまれています。千年の杜地下50mより汲みだす「ゆずりの水」はお水取りの来訪者で賑わいます。(そのまま飲料可・保健所の検査を毎年実施)
季節折々の行事が行われ、通年を通じて御朱印やご参拝で賑わっています。 -
称「日之宮さん」と呼ばれる約4m四方の自然石の巨岩です。かつて日本武尊が腰掛けて急送された伝説が残っています。石の周りを7回半周ると大蛇が出ると伝えられる不思議な石で吉沢八景にも数えられています。
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麻生不動院の正式名称は「明王山不動院般若坊」(みょうおうざん・ふどういん・はんにゃぼう)といいます。無病息災や家内安全を願うダルマ市が有名です。
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神奈川県藤沢市にある庚申信仰の仏堂です。
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藤沢市に位置する時宗の寺院です。眞徳寺の本堂天井には、当寺住職でもあった画家「吉川清(喜善師)」作の花鳥が描かれています。(写真提供:藤沢市ふじさわ宿交流館)
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神奈川県小田原市にある日蓮宗のお寺で、小田原八福神の1つです。小田原は戦国時代より城下町として栄え、歴史と文化を感じる史跡があふれる町です。蓮船寺は戦国時代の末期に小田原北條氏一門、井出氏の開基により創建され、400年以上の歴史が続いています。
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境内には鎌倉時代の海老名氏一族の国分季頼が国分尼寺に寄進した銅鐘や海老名に伝わる昔話「尼の泣水」に縁のある如意輪観音像が境内に安置されています。銅鐘は国指定の重要文化財となっています。
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入口大鳥居右にある高来神社の石碑は徳川頼倫候、本殿神額は樺山資紀の麗筆です。江戸時代には参勤交代の大名が下馬して参詣したと伝えられています。
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徳道上人、行基菩薩が開いたと伝わる古刹で、坂東三十三観音霊場の第二番札所です。脇に泉鏡花の句碑が立つ山門をくぐると、左手に本尊の十一面観音を安置する本堂が建っています。そこから130段もの石段を上がった高台に古観音堂があり、最高の展望が楽しめます。
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平安時代の記録に記されている古社(延喜式内社・相模國三宮)で、源頼朝や徳川歴代将軍の信仰の様子がうかがえます。近隣では縄文中期の環状配石が発掘されており、この周辺が聖地とされていたことがしのばれます。境内に設けられた三之宮郷土博物館には、関東最古と伝えられる木造「狛犬」などが所蔵されています。元宮(神社から徒歩7・8分)からは相模湾を一望することができます。
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西暦700年の後半に現在の地に建立した大乗院は、滝行を行うことができるお寺です。 自己解放と自身の再生としての行、自然界と一体感を得ることができる滝行。 大乗院では、滝行をしたい人を対象に、僧侶が指導を行い、滝行を行っています。
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座間警察署東側の段丘下にある境内の池の奥から湧き出す湧水。現在は、池を潤す水として利用されています。
心岩寺では、境内から土器片が発見されたり、東側の台地上でも縄文中期の遺跡が発掘されたりと、先史時代から周辺住民の貴重な生活用水として利用されていたといわれています。
また、湧出量が豊富であったため、寺の西側にあった後背湿地の水田にも利用されていたといわれています。 -
「閻魔様の寺」円応寺は、建長二年(1250年)に造られた閻魔大王を本尊とするお寺です。
円応寺の閻魔大王を中心とする十王は生前に罪を犯して地獄行きになったものがどのような裁きを受けるかが描かれています。 -
和銅3年(710年)染谷太郎時忠が創建したとされる神社。源頼朝、政子、実朝も参詣したと言われています。
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1636年創に建された英勝寺の境内には、創建当時から現存する建物が数多く残っており、すべて国の重要文化財に指定されています。
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北条宗政の妻と子の師時が1281年(弘安4)ごろに建てたようです。この寺には、鎌倉十井の一つ「甘露ノ井」があります。豊かな緑におおわれた境内は、国の史跡に指定されています。
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独立峰「城山」を改造した山城で、戦国時代に、西方に対する境目の城として小田原北条氏の有力支城でした。現在はほぼ全域が県立公園となっており、遊歩道や登山道が整備されてだれでも気軽に歴史と自然を楽しむことができます。
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天慶4年(941)の創建といわれ、早良親王(桓武天王の同母弟)と、鎌倉権五郎景政を合祀しています。災難除け、学業成就、合格祈願、書道上達のご利益があると言われています。
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全通院勢至堂は、曹洞宗のお寺です。本尊の勢至菩薩は夢のお告げによって発掘されたとされており、江戸時代の寛永年間(1624~43)に建てられた本堂には寿老人が祀られています。
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長元3年(1030年)源頼義公が平忠常の乱を平定の折、石清水八幡宮を勧請したことに始まります。相模国茅ヶ崎の総社として開運、諸願成就等の御神徳により古より篤く崇められ、菅原道真公を合祀し合格学業成就の御利益があると言われています。
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三浦半島を本拠に相模國を治めた三浦氏の最後の武将である三浦義意公をお祀りする神社。永正17年(1520年)創建の古社。
小田原城主であった北條氏綱公の意向により居神大明神として祀られたと言われています。 -
1884年、川崎大師(厄除け大師)から分神された神社で、疫病除けの神が祀られています。(写真提供:藤沢市ふじさわ宿交流館)