お出かけスポット検索
神奈川県への旅行・おでかけに役立つ観光スポットや遊び場情報を探せます。
条件を指定して絞り込み
-
箱根の自然の中、安らぎの時をお届けする湯本富士屋ホテル。ハイグレードな施設を誇る大コンベンションホールや温泉が魅力です。温泉地でありながら都心からほど近い箱根の玄関口、箱根湯本駅より徒歩3分の立地。新宿から乗り換えなしのロマンスカーでは 85 分で到着します。
-
みなとみらい線新高島駅構内地下1Fの、展示室と倉庫からなる約1,500平米のスペース。BankART1929の中核的な施設として、展覧会、ショップ、カフェ、パブ、スクール等、が運用されている。
-
Plenty’s Milk&Cheese Factoryは、2023年8月8日オープンの湘南茅ヶ崎にある牛乳製造所です。
-
東レ研究所前の直線道のけやき並木は、夏は新緑、秋は紅葉を楽しむことができます。
-
馬車道と伊勢佐木町間の首都高速道路の掘割に架かる橋です。開港直後、開港場への出入り口として架けられたと信じられています。(写真提供:photolibrary)
-
真鶴半島先端の海岸線、海のすぐ傍を歩いて行ける約700mの遊歩道です。相模湾の海や三ツ石を見ながらの散策が楽しめます。
-
自然をより感じながらゆっくりと過ごすことができます。山門から本堂までの間の前庭はとても開放的で広々としており、そこにはユキヤナギ、サザンカ、スイセンなどが植えられ、四季折々の花を観賞できます。
-
別名、惣左衛門本陣と言われた181坪の建物で、幕末には14代将軍家茂が京に上る際に宿泊しました。
明治23年(1890年)、詩人 佐藤惣之助がこの家で生まれ、大正から戦前にかけて活躍しました。 -
自然を残すために横浜市が整備した水辺は、春には梅や桜、アジサイ、秋には紅葉が楽しめるほか、野鳥観察の名所として知られています。
旭区との境にある瀬谷市民の森付近を源流として、瀬谷区・泉区をとおり、戸塚区で境川に合流しています。瀬谷区内では約2.8km区間で6つの水辺が整備されており、長い区間水と緑で繋がっています。 -
川尻石器時代遺跡は縄文時代中期から晩期にかけての集落跡です。様々な種類の遺物とともに敷石住居などの礫石を多用した遺構もあります。
-
園内には縄文集落の雰囲気を再現し、土葺きと笹葺きの竪穴住居2棟を復元しているほか、周辺には竪穴住居廃絶後の窪地なども復元しています。
また、集落の終末期に登場する敷石住居のレプリカも屋外展示しています。
公園内の管理棟には小スペースながら勝坂遺跡出土品やパネルの展示を行っています。 -
2011年に稼働が開始され、約10万枚の太陽光パネルによる最大出力は2万KWです。見学ツアーはエコ未来館発で行われており、羽田空港からの離発着風景も圧巻です。
-
天神橋には、カエルのオブジェが設置されています。この橋の下を流れる引地川には、貴重な生物が生息しています。
-
かつての炭問屋、藤屋の跡地です。江戸時代、周辺農家で焼かれた炭は黒川炭と呼ばれ、江戸に出荷されていました。当時、木炭の輸送は水上輸送が主流でしたが、黒川炭は江戸に近いため、仲買問屋を通じて、江戸に陸送されていました。
-
元豪商の政治家、内務大臣・安達謙蔵氏により、1933(昭和8)年に国民精神修養の場として建造されました。現在は郷土資料館として使用されています。
-
神奈川県藤沢市にある庚申信仰の仏堂です。
-
全長100mにも及ぶ大きな滝が五段に分かれていることから五段の滝と言われています。温泉の湯けむりが経ち込める、風情豊かな光景を楽しむことができます。
-
東京湾や房総半島への眺望が開けた園地で、海の自然や照葉樹林を中心とした広大な敷地内には希少植物も自生している昆虫や生き物も多く生息する山の自然も魅力的な自然環境が保全されています。また日本初の洋式灯台や明治からの砲台遺跡、旧火薬庫なども多数存在する歴史的にも魅力のある公園です。
-
早野にある戒翁寺近くの御堂山(おどやま)に造立されている、土地の人から「殿様の墓」といわれる石造五輪塔(ごりんとう)です。
-
日本の詩人・小説家と知られる国木田独歩の有名な詩が刻まれた碑が設置されています。
-
江ノ島からほど近い場所に位置し、梅の名所として知られています。
-
藤沢市に位置する時宗の寺院です。現在の本堂は平成3年に落成したものです。(写真提供:藤沢市ふじさわ宿交流館)
-
貝吹地蔵は、瑞泉寺裏山、天園ハイキングコース途中にございます。ハイキングコース入口よりお入り下さい。
-
まいまいの泉は大昔に作られた井戸「まいまいず井戸」に由来して名付けられました。現在は、地下水質が改善されたことから、地下20mから地下水を自噴させています。
-
鈴鹿明神社東側の段丘下にある龍源院の裏手から湧き出す湧水。この湧水は、近くの鈴鹿明神社から縄文後期の遺跡が発掘され、この遺跡の水場が龍源院湧水のみであることから、鈴鹿遺跡の住人が生活用水として利用していたといわれています。
明治24年頃から第二次世界大戦頃までは、わさび田として利用されており、現在もその名残をとどめています。
また、明治35年以降には、養蚕で得た生糸の撚糸(ねんし)器具や、精米器具を動かすための水車の動力源としても利用されていました。