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異国情緒あふれる横浜の歴史的な木々【歴旅コラム】

異国情緒あふれる横浜の歴史的な木々【歴旅コラム】

ヒマラヤ杉

ブルーク松 山手公園

横浜市中区山手本通りを歩いていると、空に向かって高くそびえ大きく枝を広げたヒマラヤスギに出会います。ブラフ積みの石垣とブラフ溝が残るカトリック山手教会横の細い道を奥へと進むと、すがすがしい空気に包まれた山手公園につきます。外国人居留地だった山手の人々の憩いの場として明治3年(1870年)にオープン。花壇を造り、音楽会を開き、テニスを楽しみました。

イギリス人J・H・ブルックはヒマラヤスギの種子をインド・カルカッタから取り寄せ、住宅の庭に、外国人遊歩道沿いに植えました。山手公園のヒマラヤスギ群は10年を経て幹の直径が1mを超えるほどに育ち、横浜の名木古木にも指定され独特の景観をつくり出しています。秋には10cmほどの大きな松ぼっくりがなりますが、種鱗が1枚ずつはがれて落ちるため、なかなかお目にかかれません。山手公園は平成15年(2004年)、国の名勝に指定されました。

ハナミズキとシドモア桜

  • シドモア桜 谷戸橋
山手の春はあちらこちらでサクラが咲き、山手西洋館を際立たせます。外国人墓地に「シドモア桜」と呼ばれるアメリカ人女性の名が付いたサクラがあります。E・R・シドモアは明治18年(1885年)に来日し、日本を旅して「人力車旅情」という本を出版しました。美しく咲く桜を見てアメリカにも植えたいと願い、これをうけて当時の東京市長尾崎行雄氏が苗木をアメリカに贈ります。1度目は害虫のため焼却され、明治45年(1912年)に2度目に贈った3千本の桜が根付き、ワシントン・ポトマック河畔に植樹されました。

今も人々を魅了し続けている桜のうち数本が、平成3年(1991年)に日本へ里帰りし、彼女のお墓の傍らに植樹されたのです。この木から接ぎ木で少しずつ増やし、堀川にかかる谷戸橋の元町側たもと、本牧山頂公園や港北区の大倉山公園などに植えられました。
  • ハナミズキ 本牧山頂公園
大倉山公園にはシドモア桜とハナミズキが並んで植えられています。ハナミズキはサクラの美しさに感銘したアメリカ政府が、大正4年(1915年)、サクラの返礼として日本に贈りました。サクラのあとに咲くハナミズキの赤い花と白い花は街をいっそう華やかにさせます。秋の赤い実や紅葉も美しく、横浜市の街路樹では7番目に多く、今では港北区は「区の木」として、また青葉区あざみ野周辺や南区平戸桜木道路の一部に数多く植えられています。

イチョウと近代道路の先駆け日本大通り

  • イチョウ並木 山下公園
  • イチョウ並木 日本大通り

港の見える丘公園から人形の家へと続くフランス橋を渡り、山下公園へ続くポーリン橋は都会の喧騒を忘れさせる橋。橋上からはみなとみらい地区の高層ビル群を背景に約200本のイチョウが一望できます。

日本大通り、横浜公園までの約1kmのイチョウ並木は春の新緑や秋の黄葉は美しく、絵筆をとる人、カメラを構える人が多くなります。長さ430メートルの日本大通りは、明治4年(1871年)頃、英国人技師R・H・ブラントンが防火帯として設計、整備し、日本で最初の近代道路として完成しました。ゆったりと作られた歩道にはオープンカフェも設けられ、ことに黄金色に染まる秋は沿道に残る歴史的建造物をいっそう引き立てます。

記事・写真提供:NPO法人 横浜シティガイド協会

(記事公開日:2020/12/18)

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