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なんじゃもんじゃ!?海老名の木にまつわる伝承【歴旅コラム】

なんじゃもんじゃ!?海老名の木にまつわる伝承【歴旅コラム】

大けやき ~県央に さすが海老名の 大欅

  • 大欅(過去)
  • 現在の大欅
国分寺参道の入り口にある、幹周り9.2m、高さ12m、推定樹齢580年の大けやきは、昭和29年に県の天然記念物の指定を受けています。

けやきはニレ科の落葉樹で、ほうきを逆さに立てたような木の形が特徴的です。 高さは20~40m、葉のふちに鋭いギザギザがあり、秋には黄色や赤に色づきます。

この辺りは大山道の国分宿があった所で、けやきの大木は旅人の目安ともなり、多くの旅人がこの木の下で休憩を取りました。

このけやきにまつわる伝承としては、相模湾が深く内陸に入り込み、この辺りが入り海だった頃、一人の漁師が船をつなぐために打ち込んだケヤキの逆さ杭が根付き、枝を張って大木になったとの言い伝えがあります。このため「逆さけやき」とも呼ばれています。

椿地蔵 ~玉椿 咲かずに落ちる 地蔵堂

  • 椿地蔵(昭和30年頃)
  • 現在の椿地蔵
杉久保バス停から農大へ向かうバス道路の坂を地蔵坂といいます。坂を上がりきったあたりに椿地蔵があり、坂の名の由来はこの地蔵に発生源があります。

椿地蔵の椿は樹齢約300年で、蕾は膨らんで色づいても、蕾のまま落ちてしまうことか ら「玉椿」と呼ばれています。椿地蔵の話の概要は次のとおりです。

元禄はじめの如月、将軍家の御殿医でなんじゃもんじゃの地に下屋敷を構えていた半井驢庵を訪ねる母娘の旅の親子がいました。この坂上にある千体寺(現在廃寺)の門前に差し掛かった時、娘が急に苦しみだし介護の甲斐なく若い命を失ってしまいました。村人たちは供養のため、石の地蔵を刻んで立てました。手向けた椿の一枝が根付きましたが、その椿もあえなく死んだ乙女を悼んでか、毎年蕾を 持ちますが、ほのかに紅の唇を綻ばせるとぽろりと落ちてしまいました。それで誰いうとなく椿地蔵と呼ぶようになりました。

驢庵屋敷跡と有馬のハルニレ

  • なんじゃもんじゃの木(昭和30年頃)
現在のなんじゃもんじゃの木


半井驢庵は、徳川三代将軍家光に仕えた幕府お抱えの医者でした。寛永元年(1624年)、ここ本郷村に一千石を賜り、この地に驢庵屋敷と言われた下屋敷を設けました。

ここには県指定の天然記念物、通称なんじゃもんじゃの名で親しまれている、樹齢300年以上と言われているハルニレの木があります。江戸時代の御殿医、半井驢庵が朝鮮半島から持ち帰り、屋敷の門の両側に植樹されたう ちの一本と伝えられています。

当時ハルニレは大変珍しい木であったため、木の名前が分からず「なんじゃもんじゃ」の木と呼ばれるようになったと言われています。

記事提供:NPO法人 海老名ガイド協会

(記事公開日:2020/12/18)

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