開港都市横浜の味~サンマー麺、三溪そば&蓮華飯~【食のコラム】

開港都市横浜の味~サンマー麺、三溪そば&蓮華飯~【食のコラム】

横浜の開港により、様々な西洋の食文化、そして中華街を介して中国料理が日本に広まり、さらに横浜独自の食文化も発展した。牛鍋、サンマ―麺の誕生など、横浜は日本の食文化に大きな影響を与えた港町である。  ここでは、中国料理に因む食や、生糸貿易で富をなし横浜を代表する実業家として活躍した原三溪に因む食を紹介する。

※本コラムは、かながわガイド協議会構成団体である「NPO法人横浜シティガイド協会」より寄稿いただきました。

サンマー麺

横浜とろみもやしそばと言う表現が、ピッタリのご当地ラーメンで、浜っ子には子供の頃から慣れ親しんできた味である。 戦前は聘珍楼の賄いメシであった。初期の具は、もやし、白菜、豚肉であったが、後に、人参、玉ねぎ、ニラ、きくらげ、かまぼこ等も使われ、冷めにくいようにと醤油餡かけである。安価で食べ応えがあり、冬は冷めにくい麺料理として、港の労働者などに普及していった。横浜の中華屋さんで味わえるが、代表的なお店は伊勢佐木町の玉泉亭である。

横浜の恩人 原三溪が愛した三溪そば

三溪園の創立者、原三溪自ら考案した料理の代表作である。特徴はつゆのない温かい麺で、特別に製麺した細いうどんであった。当時日本では麺類を総じて、そばと呼ぶことが多かったため、三溪そばと命名された。この麺を軽く炒め、餡かけは筍、椎茸、豚挽肉、ネギを炒めたものに、彩りとしてハム、絹さや、錦糸卵が添えられている。三溪園の完成を祝した大茶会で、600名の招待客に振る舞われた。三溪そばをいつでも食べられるのは、三溪園内の待春軒だけである。

蓮華飯 茶会で出された原三溪自慢の料理

蓮が見頃を迎える季節になると、原三溪はよく茶会を催し、この茶会で出されたのが蓮華飯である。ご飯の上に、三溪園の蓮の実を煮たものと、シソの葉を散らし、だし汁をかけて供された。昭和12年8月に長男が45歳で急逝した際に開かれた茶会は、浄土飯(蓮華飯)の茶事として招待客の心に刻まれるものだった。毎年9月中頃には、三溪園内の待春亭で特別に蓮華飯が頂ける。

※本コラムは、かながわガイド協議会構成団体である「NPO法人横浜シティガイド協会」より寄稿いただきました。
  • 神奈川県PRキャラクター かながわキンタロウ
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