お出かけスポット検索
神奈川県への旅行・おでかけに役立つ観光スポットや遊び場情報を探せます。
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五穀豊穣・商売繁盛、地域安全、家内安全などのご利益があるとされています。
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神奈川県西部 自然豊かな山北町にある禅宗のお寺です。「山寺で学ぼう」として、坐禅会、写経会、お茶を愉しむ「喫茶去」が毎月第一土曜日に開かれています。
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小田原城の初代城主となった大久保忠世と11代忠真を祀っています。
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明治時代の小田原出身の詩人、井上康文の「梅」の一節が刻まれた石碑です。
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戦国時代の終わりに豊臣秀吉との小田原合戦に備え北条氏が作らせた総構の一部で、豊臣軍の本陣と向かい合う重要な場所でした。二重外張と呼ばれる土塁と堀を二重に配した構造となっていることから、この付近に出入口である虎口があったと考えられています。
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精進池近くにある元箱根石仏群の一部です。約700年前、鎌倉時代から室町時代前期にかけて数多くの石仏や石塔が造られました。これらの石仏・石塔の多くは、中世の地蔵信仰を物語る遺物として国の重要文化財に指定されており、周辺一帯も同様に国の史跡に指定されています。(写真提供:photolibrary)
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三ノ鳥居をくぐり正面にみえる石造りの反橋を太鼓橋という。1182年の建立で、東西に分かれる源平池の中央にかかっている。
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鶴岡八幡宮本宮の西側の小高い丘の上にある神社です。境内では一番古い室町期の御社殿で、商売繁昌等を願う多くの方々より奉納された赤い旗で囲まれています。
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源氏池の中の島に鎮座しており、現在の御社殿は八幡宮御創建800年(昭和55年)に、文政年間の古図をもとに復元したものです。頼朝公の旗上げにちなみ、源氏の二引きの旗に願いをかける人が大勢います。
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吉野宿(よしのじゅく)は、江戸時代初期に定められた五街道「甲州街道(道中)」の宿場でした。「吉野宿ふじや」は旅籠「藤屋」として営まれていました。現在の建物は、明治29年の大火で焼失後、明治30年頃に建てられたもので、平成26年4月に市登録文化財に登録されました。建物内には、養蚕や炭焼に関する資料などが展示されています。
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建久5年(1194年)、源頼朝が三浦大介義明菩提寺として建立しました。140年後に火災にあい建物はなくなってしまいましたが、1749年に仏心禅師が再建し、旧山号の雲龍山を改め、義明山としました。以来、臨済宗建長寺派の禅寺として今に至っています。本堂前のサツキの大株は「頼朝手植えのツツジ」といわれています。 三浦家ゆかりの文化財、三浦義明坐像(国指定重要文化財)等多数を所蔵しています。拝観は要予約。
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境内には鎌倉時代の海老名氏一族の国分季頼が国分尼寺に寄進した銅鐘や海老名に伝わる昔話「尼の泣水」に縁のある如意輪観音像が境内に安置されています。銅鐘は国指定の重要文化財となっています。
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若手アーティストの創作活動に対する支援や様々な企画展、ワークショップ、講座などを開催しています。アートの新たな可能性を見出し、地域とのつながりを深めながら活動しています。
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茅ヶ崎市美術館は、1998年に開館し、郷土美術館として茅ヶ崎にゆかりのある作品を収蔵しています。企画展では、茅ヶ崎ゆかりの作家や作品を中心に紹介しており、収蔵作品展は、収蔵する2,000点の中から、テーマを設けて展示を行っています。
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「足柄山の金太郎伝説」は、全国的に有名です。平安時代にこの地蔵堂地区にいた四万長者と呼ばれたお金持ちの娘が生んだ赤ちゃんが金太郎とされ、そのお屋敷跡が今でも金太郎の生家と伝わっています。さらに長者屋敷跡前の水田にある「たいこ石」「かぶと石」という巨石は、幼い金太郎がよじ登ったりして遊んだと云われ伝説とともに大切に残されています。
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鎌倉から藤沢方面へ通じる切通道で、中世のやぐらなどがあり、狭く急峻な古道の様子がよく残されています。
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日本最大級の多目的イベントホールです。コンピュータ制御の可動観客席で最適な客席パターンを設定できるため、コンサートや各種イベントの他、企業式典等のMICEイベントも数多く開催されています。
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2020年7月開業。民間ならではの視点から音楽業界のニーズを丁寧にくみ取り、コンサートを観る側と演じる側の双方にとって、その環境や使い勝手を音楽コンサートに最適化したアリーナです。地下1階・地上4階建ての縦に長いハコ型構造で、ステージと客席の距離が近い点が特徴。
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パイロットコーポレーションでは、大正15年(1926年)より、日本が世界に誇る伝統工芸のひとつ、蒔絵を施した高級万年筆を欧米で展開。後に人間国宝となる蒔絵師・松田権六氏を中心とした蒔絵師グループ「國光會(こっこうかい)」を結成し、日本古来の蒔絵の技をおよそ100年にわたり守り続けています。旧第二海軍火薬廠として使用されていた平塚近代史の遺構である大正時代に建てられた煉瓦造りの建物を改装し、蒔絵万年筆の歴史と漆芸作品を展示しています。事前予約制:電話:0463-35-7069(平日10:00~16:00)
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静寂に包まれた比企一族ゆかりの寺院開山は日蓮聖人、開基は比企能本(ひきよしもと)と伝えられる日蓮宗最古の寺院。鎌倉駅東口から徒歩約10分、豊かな自然と静寂に包まれた「比企谷(ひきがやつ)」の山腹に位置します。鮮やかな朱色と美しい彫刻が施された二天門には、仏教の守護神である四天王のうちの持国天と多聞天(毘沙門天)を安置。広い境内には日蓮聖人(祖師)を祀る「祖師堂」や日蓮像のほか、比企一族の墓、蛇苦止堂(じゃくしどう)などがあります。春には桜と海棠(かいどう)が可憐なピンク色の花を咲かせ、夏は鮮やかなオレンジ色のノウゼンカズラと、あふれんばかりの新緑に包まれます。秋にはイチョウやカエデが色づき、冬に雪が降ると水墨画のような趣ある雪景色が広がります。事前予約制で写経体験も可能。お香の香りに包まれる書院の一室で、心静かにやすらぎの時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。
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歴史ファンから子連れファミリーまで、何通りもの楽しみ方がある公園歴史ファンは小田原城を、カメラファンは庭園散策を、子連れファミリーは遊園地を。多彩な楽しみのある城址公園です。歴史ファンは馬出門、銅門、常盤木門を通って本丸、天守閣へ。天守閣には小田原城の歴史を感じさせる展示の数々があります。5Fの展望デッキからの眺めは絶景!「常盤木門SAMURAI館」には甲冑や刀剣など武具の展示や武士の世界観を表現したプロジェクションマッピングがあり、「小田原城NINJA館」では戦国時代に北条氏を陰で支えたと言われる風魔忍者の存在を体験しながら学べます。カメラファンは花暦をチェック。桜や紅葉はもちろんのこと、1~2月の梅、3~4月の桜、4〜5月の藤・ツツジ、5〜6月の花菖蒲・紫陽花、7~8月の蓮など、園内にはカメラに収めたくなる四季折々の風景が展開。「お堀端通り」は、朱塗りの橋があり、桜・紅葉の並木越しに白い天守閣を望める写真映えスポットです。小さな子どもと一緒なら「こども遊園地」へ。豆汽車やバッテリーカーなどの遊具があります。常盤木門1階で着付け体験をするのもおすすめ。甲冑・打掛・忍者衣装の貸出をしています。武士・お姫様・忍者に変身し、小田原城をバックに撮影すれば記念の1枚に。
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走水神社は、日本武尊と弟橘媛命をご祭神としてお祀りする神社です。
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『吾妻鏡』には鎌倉幕府の中枢を担っていた梶原景時が相模国一宮に館を持っていたと記されています。その跡地が天満宮を中心とする一帯であるといわれています。
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旧加賀藩主前田家で明治8年に建築された、関東で最古の能舞台「染井能舞台」を復元し、平成8年に開館。「敷居の低い能楽堂」を合言葉に、解説付きで初心者にもわかりやすい普及公演や、特色ある企画公演をはじめ、ワークショップなど様々な催しを開催。月1回程度の施設見学会(事前予約制)では、能舞台の歴史や能楽に関する展示、普段見られない楽屋などをスタッフが案内する。※令和6年1月~令和8年6月まで大規模改修工事により休館。
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善波峠は秦野市と伊勢原市の境にあります。東京都の赤坂御門から秦野を経て矢倉沢の関所を越え、静岡県沼津市にいたる矢倉沢往還が通っていました。参勤交代でにぎわう東海道の脇街道で、物資の輸送や富士・大山への参詣路として、昭和初期に善波隧道が完成するまで、この峠道が利用されていました。
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天保年間(1830年頃)から受け継がれてきた相模原市の伝統行事の一つで、日本一の大きさを誇る八間凧は、約14.5メートル四方、約950kgにもなります。骨組みとなる竹の切り出しから題字書きまで、全て人の手で行われる制作過程も見どころの一つです。 展示室では、相模の大凧の映像を自由に視聴できます。
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尾崎咢堂記念館は、「憲政の神」といわれた尾崎行雄を多くの人に知ってもらおうと、生誕地である尾崎家代々の屋敷跡に昭和32年1月に建設されました。館内には写真や肖像画、遺品のほかに幅広い活動の足跡を物語る資料が保存、展示されています。また、敷地内にはワシントンに贈った桜の孫樹「咢堂桜」があります。
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かつては排水路を横断するように架かっていた橋ですが、昭和6年頃に水路が埋められたため、現在は親柱だけが交差点脇の歩道に保存されています。
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日本の詩人・小説家と知られる国木田独歩の有名な詩が刻まれた碑が設置されています。
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県指定史跡でもある子母口貝塚は、多摩丘陵で最も古い縄文時代早期後半(約7000年前)の貝塚で「子母口式土器」の標識遺跡としても知られています。貝塚とは古代の人のゴミ捨て場で、当時の人々が捨てた貝殻が積み重なったものでもあります。
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古墳の周溝は道路によって削られていますが、現状で直径17.5m、高さ3.7mの円墳です。橘樹神社の社伝によると、ヤマトタケルノミコトが東征のさいに、荒れる海に身を投じた后のオトタチバナヒメの衣と冠がこの地に流れつき、それをヒメの代わりとして、古墳に埋葬したと言われています。
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女子美術大学相模原キャンパス内にある展示施設です。相模原市の豊かな自然と美術が融合する環境で市民との交流を深め、地域社会の人々に親しまれる美術館を目指しています。年間6本程度の企画展をはじめ、講演会やギャラリートーク、ワークショップなどの教育普及活動も行っています。
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かわさきエコ未来館は「地球温暖化」「再生可能エネルギー」「資源循環」の3つのテーマを中心に、環境保護を楽しく学べる施設です。
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昭和音楽大学構内にありながら、広く芸術発信箇所として機能するテアトロ・ジーリオ・ショウワ。ヨーロッパの伝統と、最新鋭の舞台機構とが調和した本格的な総合劇場です。 この劇場は、美しく自然な音響、そして舞台と客席との一体感を大切に設計されました。
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綾瀬駅から徒歩10分のところに位置する真言宗のお寺です。
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兄源頼朝の勘気を蒙った義経は、1189年に奥州衣川館で自害しました。首級は腰越で曝されたあと片瀬の浜に捨てられたが、泥にまみれたまま亀に背負われ境川をのぼり藤沢の里にたどり着きました。哀れに思った里人が井戸で首を洗い清め弔うため首塚を作ったと伝えられています。
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かつてこの地は鎌倉三代将軍源実朝が宋に渡る船の用材を切り出したところと伝えられ、それゆえに乗船成就海上守護の願いにより勧請されたといわれます。 (写真提供:藤沢市ふじさわ宿交流館)
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豊臣秀吉による小田原攻めに対して北条氏が築いた総構の一部です。小田原城総構の中でも低地部にある遺跡として、貴重なものです。土塁の外側には渋取川を配し、堀としていました。
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藤沢市に鎮座する神社です。御所見地区で最も古い神社として歴史を重ねてきました。創建時期は不明ですが、鎌倉時代には、時の執権北条貞時によって社殿が寄進されたこともあります。


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