かながわNOW トップページ > イベント > 博物館・美術館めぐり > 2012年1月 >
正岡子規と美術
2012年01月23日
![]()
正岡子規と美術
近代俳句の革新者として知られる正岡子規(1867-1902)は、愛媛県松山市に生まれました。
子規は、浅井忠(ちゅう)、中村不折(ふせつ)ら洋画家と親しく交流し、子規の文学の根本をなす「写生」の理論も、
彼らとの交流の中ではぐくまれたといわれています。
それは、過去の因習や主観を捨て、目の前に見えるものの客観的な描写によって、真実に到達しようとする思考のあり方であり、
明治という時代の精神を象徴するものといえるでしょう。
本展では、子規が自ら描いた絵画作品をはじめ、自然のなかの美を追い求めた明治の画家たちの作品を紹介いたします。
※正岡子規略歴
1867年、愛媛県松山市生まれ。東京での学生生活を経て文学の改革に志し、新聞「日本」の記者として活動。
若くして肺結核を発症、闘病の末、東京・根岸で短い生涯を閉じる。
想像を絶する病苦のなか、俳句・短歌をはじめとする創作をつづけ、多くの随筆・評論を残している。
司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』では、同郷で、のちに日露戦争の立役者となった秋山好古(よしふる)・真之(さねゆき)兄弟との交流が描かれている。
同時開催 スペシャルドラマ「坂の上の雲」パネル展 (無料)
2011年までの3年間にわたって放映されたスペシャルドラマ「坂の上の雲」では、
松山に生まれた秋山好古・真之の兄弟と、正岡子規との交友が描かれています。
写真パネルや撮影に使われた衣裳などで、ドラマの世界をふりかえります。
同時開催 秋山好古・真之兄弟と正岡子規ゆかりの地 松山コーナー(無料)
2011年報道写真展
2012年01月11日
![]()
「死闘制し、なでしこ頂点へ」(共同通信社 鈴木 大介) 2011年7月18日撮影
日本新聞博物館(横浜市中区)では、1月14日(土)から4月15日(日)までの間、企画展「2011年報道写真展」を開催します。この企画展では、東京写真記者協会加盟社(新聞、通信、放送34社)の写真記者が2011年の1年間に撮影した報道写真の中から、約300点をご紹介します。
また、3月中旬からは一部展示替えのうえ、年明け以降の東日本大震災関連の写真を追加し、震災発生後の1年を報道写真で振り返っていただくことにしています。
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、被災者の日常を一瞬にして奪いました。
今年度の東京写真記者協会賞には、震災の津波で母親が行方不明となっている少女と向き合った「ままへ」(読売新聞東京本社・立石紀和記者)が選ばれました。
会場には、震災による一連の被害を報じる写真のほか、「一般ニュース」「企画」「スポーツ」「文化芸能」の各部門賞や特別賞、奨励賞などの報道写真を展示します。
東京スカイツリー、中東の民主化運動、なでしこジャパンのサッカー女子ワールドカップ優勝や中国高速鉄道事故など、2011年を象徴する国内外の様々なジャンルの報道写真を月ごとに紹介するほか、東京以外の各地(北海道、東北、中部、関西、関西スポーツ、九州)の写真記者協会が選定したグランプリ作品も併せて展示します。
弥生時代のかながわ-移住者たちムラと社会の変化-
2012年01月10日
![]()
かながわの遺跡展「弥生時代のかながわ-移住者たちのムラと社会の変化-」
今から約2,200年前の弥生時代中期中頃、小田原市の低地に突如大規模な集落が出現しました。
本格的な稲作農耕技術を携え近畿地方から移住してきた開拓者たちが深く係わったムラ、中里遺跡です。
その後、南関東全体に本格的農耕集落が次々出現しましたが、後期になると神奈川県域では遺跡数が激減します。
しかし、三浦半島の先端にある三浦市赤坂遺跡は、海を通じた他地域との交流を背景に大規模な集落を維持し続けました。
また、綾瀬市神崎遺跡は、遺跡数が激減した時期に、現在の愛知県東部から静岡県西部地域より訪れた入植者のムラであることが分りました。
本展示では、この3遺跡を中心に県内各地の遺跡の出土品を紹介し、かながわを舞台とした人々の移住・交流と社会の変化を解説します。
<綾瀬市神崎遺跡出土壺 綾瀬市教育委員会蔵>
印象派の行方―モネ、ルノワールと次世代の画家たち
2012年01月06日
![]()
クロード・モネ《国会議事堂、バラ色のシンフォニー》 1900年 油彩・カンヴァス ポーラ美術館蔵
ポーラ美術館(箱根町仙石原小塚山)では、 2012年1月21日(土)から2012年7月8日(日)までの間、
企画展「印象派の行方―モネ、ルノワールと次世代の画家たち」を開催します。
自然や都市に身を投じ、自らの眼に映る世界を明るい色彩で生き生きと描き出した、フランス印象派の画家たち。
そのグループとしての活動は長くは続かず、1870-1880年代の10年余り、計8回の展覧会をもって終焉を迎えます。
しかし、彼らの試みの波紋は大きく、同時期のセザンヌやゴーガン、スーラらの革新的な絵画も、
印象派の内部や周辺から生まれたものでした。
印象派の画家のなかでも、20世紀へといたる長い画業の最後まで探究を続けたのが、モネとルノワールです。
ふたりの画家は19世紀末に評価を確かなものとしますが、老境に入ってもなお貪欲に制作に取り組むなかで、
ボナールやマティス、ピカソら、新進の前衛画家の称賛を受けていたことは、あまり知られていません。
このことは、モネとルノワールの画業のたゆまぬ発展を物語ると同時に、印象派に対する後年の評価を考えるうえで、
興味深い事実です。
モネとルノワールは印象派展以後、どのように制作を展開していったのか―。
20世紀の画家たちは、ふたりの先達に何を見出していたのか―。
約60点の出展作品により、次世代のまなざしから見えてくる「印象派の行方」をうかがいます。
クロード・モネ《サルーテ運河》
1908年 油彩/カンヴァス ポーラ美術館蔵



















